集英社 メイプル 1999年
不出世の目利きの眼にかなった料理の数々
「白洲正子さんの御馳走帖」 |
*抜粋
昔懐かしい味
生前、白洲さんは自分が食べていたものについてこんな話しをしていました。
「今はもう関西に風靡されちゃってなくなっちゃいましたけど、わたくしがまだ
小さかったころはれっきとした『江戸料理』ってものがありました。
それは本当においしかったわ。」なかでもそのころ食べて「忘れられない味」
というのが、晩年まで大好きだったうなぎでした。
白洲さんの実家、樺山家は大磯に邸宅があり、また夫、次郎氏と結婚した直後はしばらく大磯に暮らしていたため、白洲さんは、よく老舗の『國よし』のうなぎを食べたといいます。
この80年間の日本の歴史を振り返ってみれば「激動の」などどいう言葉では
とても言い表せないくらい、何もかもが大変な変わりようであったわけで、
そんな中で味も店構えも何ひとつ変ることなくこの世に存在しつづけることの
むずかしさと偉大さを、白洲さんはこの店に見い出していたのかもしれません。
日本人が長い年月かけて磨いてきた味だからこそ、白洲さんはそれを愛し、
懐かしい味としてずっと変らぬことに、敬意を表していたのです。
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立原正秋 小説「夢は枯野を」 |
*抜粋
「では、鰻屋にいっております。久しく大磯の鰻を食べていないもので」
〜大磯で鰻屋といったら人がよく知っている店が一軒しかなかった
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獅子文六 「自由学校」 |
*抜粋
「さうですね・・・・。どうだね、駒ちゃん、今日はちと奮発しようか」
「あら、そんなことなさらなくても・・・・」
「いいんだよ・・・・。ではこちらのお中食の外に、住吉のおウナを、
二人前、取り寄せて貰ひませうかね」
1969年に文化勲章を授与された獅子先生は
「國よしを住吉という名で書いたことがありました」と
書き残してくださいました。
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日本画家 堀文子先生
わたしが好きなこの店この一品 朝日新聞社 |
*抜粋
飾り立てることをきらった、昔ながらの職人気質を押しとおしているうなぎ屋「國よし」の店は、大磯の国道すじにあるが、余程気をつけていないと見落としてしまう程、ひっそりと目立たない。宣伝と店の拡張に血みちをあげる現代の風潮もどこ吹く風と、ここのあるじはひたすら、味専一の一こくな心をくずさない。まことにあっぱれである。
どんな道楽なお客にもこの店の鰻だけは胸を張ってすすめられる。実においしい。
それに器がいい。こんな時代に何年たっても質を落とさないのは並大抵に努力ではないと思う。いまだにふっくらと、とろけるような鰻を食べさせてくれるこの店は、飾り気一つないが、知る人ぞ知るで、ひいきが多く、東京からのお客もあとをたたない。17代も続いた老舗のかんろくはさすがだと思う。 |
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